【過去の事例】4歳の災害関連死②―熊本地震
病気と地震とたたかった証
災害関連死――。貴士とさくらが、その言葉を知るのは、花梨の死から1カ月ほどした時期だった。親戚に花梨も災害関連死に該当するのではないかと教えられたのだ。
実は、当時、災害関連死に明確な定義はなかった。
一般的に、津波や洪水、揺れによる家屋倒壊など、災害の直接的な被害ではなく、避難生活の疲労や環境の悪化などの影響で、病気にかかったり、持病が悪化したりして亡くなるケースと考えられていた。
内閣府が災害関連死を次のように定義づけたのは、花梨の死から3年後の2019年4月である。
当該災害による負傷の悪化又は避難生活等における身体的負担による疾病により死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律(昭和48年法律第82号)に基づき災害が原因で死亡したものと認められたもの
災害弔慰金についてはのちに詳述するが、災害遺族の心痛や悲しみに対する市町村からの見舞金と考えるとわかりやすい。生計を担う人の場合は500万円、それ以外は250万円が支給される。
災害関連死の認定を受けるには、まず遺族が市町村の窓口に出向き、死因や、死と災害との関連性、病歴などを記した申請書を提出し、災害弔慰金支給の手続きをしなければならない。申請を受けた自治体は、その死に災害が影響しているかを検証する審査委員会を開く。そこで、災害との関連性がありとされれば、弔慰金が支払われ、災害関連死と認定される。認定を受ければ、災害遺族となり、奨学金や一人親世帯へのサポートなどが受けやすくなる。
遺族が申請しなかったり、そもそも遺族がいなかったりした場合は、どんなに災害の影響を多大に受けた死だとしても、統計上、災害関連死には数えられない。
当初、さくらは災害弔慰金を申請するつもりはなかったと語る。
「正直に言えば、どうでもいいと思っていました。災害関連死に認められたとしても、花梨はもう帰ってこないわけですから」
彼女が申請に踏み切ったきっかけがある。
震災からしばらく経ったある日の地元メディアの報道である。花梨が入院した熊本市民病院の解体、再建を報じていた。まだ、熊本市民病院の入院患者がどのような被害を受けたのか、どう避難したのか、明らかになっていない時期だった。
病院の解体とともに、花梨だけでなく、あの日、入院していた子どもたちが被災した事実もなかったことにされるのではないか。さくらはとっさに危機感を覚えたのだ。
そんなとき災害関連死について話す夫の一言が、彼女の背中を押した。
「花梨ががんばって病気と地震とたたかった証になるんじゃないかな」
(益城町 2016.4.18)
終わらぬ後悔
私はさくらの回想を聞きながら、熊本市民病院に耐震設計がなされ、防災措置がとられたら花梨は命を落とさなくてもすんだのではないか、と思わずにはいられなかった。
1946年に開設した熊本市民病院は、1979年に南館、1984年に北館、2001年に新館と、増築を繰り返してきた。老朽化した南館は耐震基準を満たさず、北館も耐震強度が充分ではないと指摘されてきた。花梨が入院したICUは、もっとも古い南館2階だった。
「話せば、話すだけ、後悔が思い出されますね」とさくらは力ない笑みを浮かべた。
なぜ、手術の承諾書にサインしたのか。病院の老朽化はわかっていたのに、なぜ、ほかの病院に入院しなかったのか。術後にセカンドオピニオンを受け、転院できたかもしれないのに、なぜ、熊本市民病院に残ったのか。
なぜ、なぜ、なぜ……。
その後悔は、たぶん消えることはないのだろう。それは貴士とさくらだけではない。
災害関連死をめぐる現場では、遺族の後悔と、目の前で苦しむ大切な人を助けられなかった人たちの自責の念が、幾重にも積もっている。それは、阪神・淡路大震災以降に災害関連死に認定された5000件を遙かに上回る。
自然災害は、リスクを抱える人や、社会的立場の弱い人により大きく長い影響を与える。
2020年に新型コロナ感染が広まり、既往症や基礎疾患を持つ人、高齢者が重症化するリスクがあると周知された。リスクを持つからこそ、疾患や障害、その人が置かれた立場に対する理解と、個別支援が必要になる。自然災害の現場も、まさにそうだ。
次のさくらの話に、災害関連死について考えるヒントがある。
「花梨のことをたくさんの人に知ってほしいと思っているわけではないんです。私たちが考えてほしいのは、どうしたら花梨が助かったか、ということ。もしかしたら、病院の耐震設計の問題があったかもしれない。災害時に転院する場合はどうするのか。混雑や渋滞をどう回避するのか……。花梨のような子ってたくさんいますよね。いままさにICUで治療を受ける子も、手術を待つ子もいる。そんな子どもたちが入院する病院を今日、明日、地震がおそうかも知れません。どうやったら花梨が助かったかを考えることが同じような子どもたちを守ることにつながるのかな、と」
そう。震災前から適切な防災措置が施され、なおかつ災後に迅速かつ被災者個々のニーズに合った支援が行われたら、阪神・淡路大震災以降に災害関連死に数えられた5000人以上が救われた可能性があった。
それに、と彼女は続けた。
「基礎疾患があるから、震災で亡くなっても仕方がないと思われるのがくやしいんです。地震がなければ、あと1週間、1カ月、1年……生きられたかもしれない。家族にとっては、最期の3日が、1週間が、とても大切な時間です。1時間でも、30分でもいいから一緒にいたい……。きっとみんなそう思うのではないでしょうか」
(阿蘇神社 2016.4.20)
それぞれの被災体験に耳を傾ける
自然災害は、人間の身体や心に、人生にどのような影響を与えるのか。
その問いに対する明確な答えを持つ者はいないだろう。
人は誰もが必ず死ぬ。
ただ、5000の災害関連死があれば、5000通りの被災のありようがあったはずだ。災害の性質、被災した人たちの生活環境や取り巻く社会状況、職業、年齢、資産、性別、健康状態、家族構成などで、災後の生き方も、死に方も変わっていく。
自然災害の被害を防ぐのは、限界がある。だからこそ、災害関連死をひとつひとつ検証する必要がある。死のプロセスをたどる作業が、災害が人や社会に与えた影響を浮かび上がらせる。その積み重ねから、支援の適切なあり方を、あるべき防災措置や災害対策を導き出せるはずだ。
災害関連死は、亡くなった人の最期の声、と言われる。
最期の声に耳を傾ければ、自然災害を生き延びる手がかりをえられるのではないか。生き残った者たちが、遺された声をくみ取り、次に起こる自然災害の支援や政策に活かし、復興から取り残される人をひとりでも減らすべきなのではないか。
小さな声に耳を貸さない社会。それは、リスクを抱える人や、社会的立場の弱い人、そして残された遺族の思いを、一顧だにせずに自助と自己責任だけを押しつけてくるディストピアである。
災害で命を喪った人が発した最期の声は、災害が多発する、いまを生きる私たちへの遺言なのではないかと感じるのだ。
山川徹著『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)より
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